ゆりのわか

超意訳!和歌考察!

#002 かきつばた

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

博物館・美術館が好きです。

絵画や工芸品を眺めるのが好きです。

高等なことにはあまり詳しくはありませんが、

「美しい」「かわいらしい」「色合いがすてき」

そんなライトな感じで鑑賞するのも、良いと思うのです。

 

曾祖父が絵描きで、彼の描いた絵が身近にあったこともあると思います。

動物画が得意だった彼の描く動物たちは、まるで生きているかのように愛らしく。

まるで飼っている、そんな気持ちになります。

もしかしたら、昔の人たちも屏風や絵画に風景や動物を描かせ、眺めることで、

愛らしい・美しいと晴れやかな気持ちになっていたのかもしれない。

 

和歌を好きだと、工芸品や絵画を見ていると、わくわくすることがあります。

和歌のストーリーをモチーフに作られているものがあるためです。

 

私の好きな工芸品のひとつに、尾形光琳の「燕子花図屏風」という屏風があります。

とても大きな屏風に金箔がこれでもかと貼られ、

カキツバタの花々が描かれている、豪華な屏風です。

 

高校生のときに、根津美術館

生の屏風を見たことがあるのですが、

高さ150cm、横も2m、3mくらいはある、

すごく大きな屏風で。

ライトに照らされた屏風は、とてもあざやかで、

豪華絢爛とはまさにこのことなんだなぁとくぎ付けになったのを覚えています。

 

カキツバタの花というのは、アヤメのような形の花で、真っ青な綺麗な花です。

スイセンみたいな形をしているかも。スイセンより花はだいぶでかいですけど。

もちろんこの屏風のインスピレーションは「伊勢物語」です。

 

都きってのプレイボーイ在原業平の武勇伝と、

都落ちしていく、その生涯を描いたお話です。

その後半、仲間と旅に出る、いわゆる東下りの場面です。

教科書に載ってたりしますよね。

 

お弁当の「乾飯」を食べようと休んだときに、目のまえに燕子花の花が綺麗に咲いている。あまりに綺麗なので、皆で「かきつばた」の頭を取って歌を読もう、とした場面です。いわゆる「折句」あいうえお作文です。

そこで業平が謳ったのが、この歌。

 

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

唐衣が着ているうちに身に馴れるように、馴れ親しんだ妻が都にいるので、

都からはるか遠くまで来てしまったことよ、と思う。

 

掛詞(ダブルミーニング)がふんだんに使われている歌です。

場所は三河国、八つ橋。愛知県のあたりでしょうか。

 

京都から愛知まで、歩いて行ったのだから、それはそれは遠い旅だったはずです。

しかもこの時代、「都は雅」「東は無骨」という都至上主義が根付いていたはずです。

それでも「都より住みやすい国があるのではないか」と旅に出た訳です。

だけれど、旅に出てみるとやっぱり寂寞の想いにかられる。

都・都にいる女のことが恋しい。そんな想いが出ています。

 

私はこの歌は、上の句が素晴らしいと思っていて。

テクニックとしての掛詞が好きなんですよね。

解釈には手間取るんですけれど、2つの言葉が合わさるからこそ、

意味の厚みがぐっと増す感じ。

 

「つまし」の「し」は、「つま」を強調する助詞の「し」です。

 

当時一緒に旅に出ていた人たちは皆、この和歌を聴いて、

乾飯がふやけるほど涙を流したといいます。

 

スマホもなければ、郵便もない、交通網もない、そんな時代。

今だったら、facebookで検索とか久しぶりにLINEしてみるとか

そういう連絡の取りようはあるけれど、

平安時代の人たちは、人との別れをどういう風に捉えていたのか。

そういうものをもっともっと、私も知りたいなぁと思うのです。

 

尾形光琳と言えば、「八橋蒔絵螺鈿硯箱」も良いですよね。

生で見たことがないので、いつか見てみたい。