ゆりのわか

超意訳!和歌考察!

#001 優等生の私と手のかかるあの子。

 

底冷えするような冬の日々の合間、

ふと外に出ると今日はなんだかあたたかい、太陽の温もりを感じる、

そんな季節が好きです。

外気はひんやりとしているのに、陽気があって暖かい。

春を感じます。

 

2月の半ば~3月の頭頃でしょうか。

梅がちらほらと咲く季節です。

 

民家の軒先で咲いている梅を見るのが、私は好きです。

梅の木って、木ごとに独特な曲線の形に動きがあって素敵ですよね。

個性があって、花があんなに可憐なのに、幹は立派で年季を感じさせます。

 

白加賀のような白梅も可憐で好きですし、桃色の梅もかわいらしくていい。

枝垂れている梅も、花の雨が降っているようで美しいです。

 

梅のほのかな甘い香も、ほっこりとします。

 

日本の花と言えば、「桜」の印象が強いですが、「梅」も良いものだぞ、と。

声を高らかにして言いたいです。

 

社会が不便だった時代は、自然と人の結びつきが強かったから

(それが当たり前だから、当時の人たちは不便だなんて思いもしないだろうけど。

今がハイテクすぎるのかもしれない。)

余計梅や桜が尊くて、身近なものだったのではないかと思います。

 

和歌にはいろんな形で梅が登場しますが、

私が一番好きな歌は「東風吹かば」で始まる、菅原道真の歌です。

 

菅原道真は学問の神様としても有名で、京都の北野天満宮に祀られています。

彼は平安時代天皇のそばに仕えた人物で、

当時で言うところのエリート、

とてもデキる方だったのではないかと思うのですが、

藤原氏の権力闘争に巻き込まれ、九州に左遷されてしまうことに。

 

そんなときに、道真が京都の道真邸のお庭にあった梅に呼びかけて謳った歌。

「東風吹かばにほひ起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」

 

春になり春風が吹いたならば、その甘い香を届けてくれよ。

主人がいないからといって、春を忘れるなよ。と

 

京都を離れ大事に愛でていた梅への別れを謳った歌です。

 

昔の人にとって、和歌というのは

「私、こんなにセンスがいいの」と自身の教養を見せつける文芸であっただけでなく、

誰かに想いを伝える手紙のような、そんな側面があったのだとおもいます。

 

だからこそ、57577という限られた文字数の中で、

どうその愛を形容するか。同じ花でもどの花にたとえるかで、意味合いが全然変わってくるものだと思うのです。

 

和歌は和歌そのものでも十分美しいけれど、その歌の背景にある歌い手と相手の関係や、季節・当時の時代背景を知ることでもっとその深みを知ることが出来る。

だから好きなんです。

 

北野天神縁起絵巻の中では、この歌には続きがあります。

この歌を詠まれた梅は、彼を慕うあまり、左遷の地、大宰府にまで飛んでいってしまったとか。

ちなみに面白いのは、彼の庭には実は梅だけでなく、桜や松も生えていたそうで、

桜は主との別れと、梅にだけ特別な和歌が詠まれたことに悲しみを覚え、その悲しみのあまりに枯れてしまい、

何もしなかった松は、大宰府の道真に「梅は飛び桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」と詠まれたことを知り、たえきれず梅同様大宰府まで飛んでいったとか。

 

でも実は、道真、桜にも和歌を詠んでいるんですよね。

桜花 主を忘れぬ ものならば吹き来む風に 言づてはせよ

桜の花よ、主を忘れないのならば、春風に言付けをしてくれよ。と。

こちらは後撰集に収められた和歌です。

 

これをふまえると、後撰集と北野天神絵巻でつじつまが合わないです。

ただ、後撰集天皇の命で作られた勅撰和歌なので、

道真が桜に和歌を送ったのは本当なのではないかなぁと。

天神縁起絵巻は、13世紀ごろだといわれているので、

伝説にいろんなフィクションがまざった物語、みたいな感じなのかな。

でも私は、これはどちらも正しいと仮定して読むことにします。笑

私が思うに、

北野天神縁起絵巻で桜が悲しんだのは、

和歌を詠んでくれなかったことではなく、

和歌の内容に梅と桜と道真の関係の差が見えるからだと思うんです。

思うに、桜は優等生・梅は手のかかる可愛い子、そんなイメージだったのではないか、と。

和歌の内容は一見梅も桜も同じようなことを言ってるように思いますが、実は違います。

決して同じではない。

なぜならば、

「私のことを忘れないでいてくれるならば、春風に載せて言葉を知らせておくれよ」と、

「春になったら花を咲かせてその甘い匂いを太宰部まで届けるんだよ。

 私がいないからと言って、春を忘れることなんていけないよ。」

 

もし言われた相手だったらどうでしょうか。

前提として、古文において、「な~そ」はとても強い禁止を表します。

絶対に忘れてはいけない、と、そんな気持ちが込められていたのでしょうか。

 

しかも梅の花にいたっては、句全体が倒置されていることが下の句の意味合いを強めたいのだと思われます。

花自体が季節を忘れる、しかも自分の盛りの時期を忘れるなんてことは普通に絶対にありえません。寒い雪の冬を越え、ようやく自分が一番美しい姿になれる季節ですから。

それは道真だって分かっているはずです。

だけれど、自分と梅の両方向が認知する(自分にとって相手は特別で、相手にとっても自分は特別と言える)ほど、特別な関係が前提にあるからこそ、私がいなければこの梅は悲しみのあまり、自分が一番美しく輝ける季節さえも忘れてしまうのではないか。そんな心配があったのでしょう。それが嬉しくもあり、だからこその「春な忘れそ」なのです。

思うに、

中国では花=梅、日本でもまだ桜に対する特別な社会的好意が生まれる前のこの時代、

当時の勉学の模範=中国だったことからも、道真は桜よりも梅をひときわ特別に愛でていたのではないか、と。

だからこそ、梅と桜の間で、大きな違いが生まれた。

 

桜も主のことが好きだったけれど、こんな和歌詠まれたらひとたまりもないですよね。

現代でも、こういう場面あると思うんです。

関係の特別性が違いすぎる。それは悲しくて悲しくて枯れてしまうのも無理はない。

 

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今からさかのぼること10年ほど前、

私は突然、日本史が得意な高校生になりました。

それまで、「日本史ってつまんない」と思って、暗記がとてもしんどかったのに。

それは、予備校である先生出会ったから。

ここまで書いて大体想像がつくと思いますが、私はその先生のことが大好きでした。

それは先生としてだけでなく、人間的に。

まぁ得てして女子校で育つ高校生は、異性に免疫がないのですぐ人のことを好きになってしまう環境にあると今なら思うのですが。

少人数の予備校だったので、認知のある関係だったからこそ、「認められたい」「私を特別だと思ってほしい」と必死に日本史を勉強したのを覚えています。

好かれたい・すごいって褒めてほしいという承認欲求の道具として、日本史を勉強していました。

しかし、先生に習い始めてから一年後、先生との突然のお別れが。

なんと先生の担当校舎移動があり....。私の最寄りの校舎の担当から外れることに。

異動に絶望し意気消沈のわたしに先生は

「これからも頑張ってね。東風吹かば、だから。」と声をかけてくれたのを覚えています。

当時、私が先生を大好きだったことも、先生に認められたくて頑張っていたこともっと向こうは知っていたのではないかな、と思います。

自分が担当でなくなる位で勉強のモチベーションを失わないで。そういう想いがあったのでしょうか。

こう言ってくれた先生が、

東風吹かばの和歌について、どれほどのレベルの解釈を持っていたのかは分かりません。

「自分は遠くの校舎だけど、そこでもあなたの名前が聞こえるくらい勉強頑張ってね」

だったのか

「あなたが自分のことを梅が主と思う位特別に思っているのは知っている。

だけれど、自分がいないからと言って、その培ってきた努力を疎かにしてはいけないよ」

だったのか。

ただどちらにしても、当時の私にとってはその和歌が心の支えになりました。

どちらの意味だったとしても、どちらも守ってやる。そう思っていました。

だからこそ、勉強にどんどんハマっていったし、

それによって和歌や工芸品のことをより好きになっていったとも言えます。

 

この場面があったからこそ、和歌が好きなんです。

言葉から想いを感じることが出来る。

そうした私の感性の原体験が、この「東風吹かば」には込められています。

 

梅に限らず、桜の和歌も素敵な歌がたくさんあるので、

また気が向いたら、紹介します。

#000 和歌と私

中学生くらいの頃、古文が嫌いでした。

源氏物語も大して面白くないし、古典文法を覚えるのが面倒くさすぎる。

授業中ぼんやりと国語の資料集を眺めているそんな学生でした。

 

そんな私が和歌を好きになったきっかけは、

小学館から出ている「日本の古典を読む」シリーズを図書館で

手にとったことでした。

和柄の可愛らしいハードカバーで紙質が良くて、

つい借りてしまったんです。

借りたのは確か、新古今和歌集でした。

 

現代語訳がついていて、読みやすく、1日程度であっさり読めてしまったような気がします。

その古文を読んでいてふと、当時の中学生くらいの私はこう思ったんです。

なんか、和歌に込められた気持ち、ちょっとわかるかも。

当時の人たちは、直接誰かに「好きです」と言うことは常識的にはしたなくて叶わなかった。だからこそ、四季の花々や動物になぞらえて形容することが、好きな人への想いを伝える最大限の在り方だったのではないか、と。

そう思たときに、ふと古文・和歌と私の距離が縮まったように思います。

 

それ以来、古典文学にハマり、古文は私の好きな分野になりました。

大学では文学部にこそ行かなかったものの、今でも新聞で和歌の記事があると、切り抜いて読み入ってしまいます。

 

ここでは、私が気に入った和歌を紹介して、その背景にある歌い手の想いに気持ちを馳せてみようと思います。