ゆりのわか

超意訳!和歌考察!

きらきら光る、雨のしずく。

雨の降った後の晴れ間が好きです。

雨の湿気た匂いと、日差しのぬるい暖かさが、心地よいです。

私は雨が止んだ後、ベランダに出るのが好きなんですけれど、

ベランダから庭を見下ろしたときに、庭のコブシの枝に雨のしずくがきらきらと

くっついていて、光の角度で、赤やら青やら緑やらに瞬くその光を

とても美しく思ったんです。

と、そのときに思い出した歌があり、今日はそれを紹介します。

 

あさみどり 糸よりかけて 白露を 玉にも貫ける 春の柳か

 

浅緑色の糸を織って、その糸に真珠のような露の粒を通している。

なんて綺麗な柳なのだろう。

ちなみに出典は古今和歌集で、詠み人は遍照。

春の景物といえば、桜や梅ですが、この時代の人たちにとっては柳もそう。

それこそ、素性法師の「見渡せば、柳さくらをこきまぜて、都は春の錦なりけり」なんて歌があるように、春の都を代表するものだったのです。

そんな柳の葉に、きらきらと露が輝いている風景なのです。

 

人生で初めて、露を白玉だと見立てた表現に出会ったのは伊勢物語でした。

当時私は中学生で、中学校の古文の授業で、

伊勢物語の芥川の段を勉強していたんですよね。

芥川と言えば、業平が藤原高子(後の天皇の母)と駆け落ちをした段。

都から、大阪の高槻のあたり、芥川のほとりまで女を背負って逃げるのですが、

結局現実は追手から逃げることができなかった、そんなお話です。

 

白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを

 

この和歌は業平が女を奪われて失意の中、読んだ歌です。

作中で、女は逃げているときに雨の露を見て「あれはなあに?真珠?」なんて聞いちゃう訳です。世間知らずのお姫様ですから、仕方ない。

そのときに、「ああ、あれは雨の露だよ」と言って、自分も露が消えてしまうように消えてしまえばよかったのに。そんな絶望を歌った歌です。

「消えなましを」という表現が良いです。

現実は「消えてしまえばよかったものを」くらいの訳でしょうが、

「消えてしまえばよかったものを、消えることもできないみじめな自分が」

という現実の自分を責めるようなニュアンスがあるような気がするんですよね。

 

当時の私は「雨が真珠な訳ないやん」と思っていたのですが、

その翌年だか、翌翌年だかの学校の体育祭で途中から雨がパラパラと降ってきて

前に並んでいたお友達の髪に露がおりたとき、

それが光の反射を受けてダイヤモンドのように

彼女の頭できらきらと輝いているのを見て

「確かに、真珠かもしれない」なんて思ったのでした。

 

雨を白露にたとえる「見立て」

古文では、様々な表現で「見立て」が使われています。

それは最初は「いやそんなんロマンチストすぎん?」というものもあったりするのですが、和歌を詠んでからその風景に出会うと自然とそう見えてくるのが不思議です。

 

例えば万葉集柿本人麻呂

彼は夜空の月や星を

  • 「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
  • なんて歌った訳です。
  • 雲は波で、月は船。
  • その船は時間をかけて海原を泳ぎ、星の林をかいくぐる。

 

超ロマンチックですよね。

だけど、結構本質的なことを言っている歌だと思います。

雲は波、月は船、くらいならまだ誰にでも思いつきそうですが、

星々を「林」として集合体として価値化させているところが良いと思います。

この歌を知ってから、空を見ると、月が船だなぁってしみじみとしてしまう。

 

 

 

和歌を知ると、こういう表現の広がりがあるのも、良いことだと思うのです。

 

えっ来週旅行で××にいくんですか?なら、××は行ったほうがいいですし、絶対アレは食べたほうがいいですよ!

最近、奥の細道を読んでいます。

といっても、がっつりではなく、小学館の日本の古典を読むシリーズを

図書館で借りて読んでいるので、あっさり目ではあるのですが・・・!

 

私は、万葉集古今集新古今集、あたりまでの和歌が好きです。

だから、俳諧や近代短歌にはあまり惹かれなくて。

なぜだろうなぁと思ったときに、情景描写の違いだな、と。

どちらも読み手の気持ちを伝えるメディアではもちろんあるんです。

でも、俳諧や近代短歌って、絵画的なんですよね。

ある風景を描写して、その余白を想像させることで、読み手の気持ちや立場を想像させるというか。

対照的に、和歌は主観的なんです。変わらないでほしいなぁという想いがこもってる。

古典文法で、「まほし」とか「なむ」とか、よく使われるのはそういうことなのです。

だから、歌い手の熱量や想いの強さを直接的に感じられるから、息遣いを感じられるから、和歌が好きなんだと思うのです。

けど、たまには。美術館で絵を眺めるように、俳諧を愉しむのも悪くないかなと思い。

読んでみたら、案の定、結構面白いですね・・・笑

高校の授業ぶりくらいに読みましたが、「ああこれも芭蕉だっけか、蕪村だっけか」という歌がいくつかありました。古池や~とか、兵どもの~とか、最上川とか。菜の花などなど・・・。

 

その中で、今回初めて読んで「あ~」って思った俳句があります。

それは、

「梅若菜、まりこの宿の、とろろ汁」という句。

前提として、芭蕉は弟子の蕪村と共に江戸→岩手まで北上してから、山形から日本海を大津まで南下し、果ては美濃(岐阜)でこの旅は終わります。俳句の名人の芭蕉は当時でも有名人だったので、各地に知り合いや弟子がいて彼らとの再会や別れが旅のイベントでもあったりします。

この歌は、旅の終わり、大津で芭蕉が入れ違いで江戸へ旅に出る弟子にプレゼントした歌です。

にしても「うめわかな、まりこのやどの、とろろ汁」よくわかんないですよね。

ちなみに私はわからなかったです。笑 まりこってなんやねん、と。

結論から言うと、

この歌は、この弟子がこれから旅で見るであろう、美しい形式や、出会うであろう旅先でのおいしいものを歌い、旅を楽しんでほしい、という想いがこもった歌なのです。

季節は春。道中には綺麗な梅の花が咲いていることでしょう。萌ゆる木々の美しい緑にも包まれるでしょう。

まりこの宿は、東海道の宿で、漢字だと鞠子と書きます。

この鞠子の宿は、とろろが有名で、東海道中膝栗毛の中でもそれにまつわるエピソードが出てくるらしいです。とろろを鰹出汁と卵とお味噌で割ったものらしいですね。

二日酔いの日とかに食べたいかも。笑

要はそれだけ有名でおいしいものがあるよ!食べるのが楽しみだね!みたいなことが言いたかったのではないかな、と。

 

現代社会の私たちも、お友達や仕事場の方とのお話の中でこういう場面って

経験したことがあると思うんです。

 

例えば、友達が、ふだんのおしゃべりの中で

「私、来週実は、人生で初めて京都に行くんだよね」って言ってきたとして。

私が京都に行ったことがあるとしたら。

「えっそうなの!今の季節だったら、北野天満宮で梅を見てほしい!めちゃくちゃ綺麗で、趣があるから!あとはね、途中で××っていう料理屋さんがあって、そこのおうどんめちゃくちゃうまいんだよ!・・・」とか、とても語っちゃうと思うんですよね。

 

旅の良いところをおすすめで教えてあげたいという気持ちと、自分の良かったことをシェアして知ることでその人の旅がもっと良い旅になったらいいなという祈りと。

そんな気持ちが、江戸時代のこの俳句にも詰まっているなぁ、と思って。

いいなぁ、と思ったんです。

バスも電車もないこの時代、平安時代に比べたら、馬だの籠だので移動するのが比較的メジャーにはなったとはいえ、お金がかかるのでやっぱり歩ける限り歩くのが庶民スタイル。雨に野ざらしになることもあるでしょう。宿が見つからないこともあるでしょう。現代と違って、道中大変な旅行だったと思うのです。

それでも、こんな楽しみがあるよ!という俳句が胸にあれば。

辛い雨の中でも、寒い雪の中でも、ぽっとちいさなあかりが、胸に灯ったのではないかな、と私はおもいます。

 

 

元気ないみたいだから、ウナギでも食べて元気だしてよ!

しばらく放置してましたね。

元々和歌の良さをいろんな人に伝えたい!という想いベースで始めたこのブログ。

でも、次第に私の脳内を取りとめもなく好き放題書いているブログになり、

これでいいのかな?なんて思いながらも更新していましたが。

近々、別サイトでリニューアルする予定です。

それはそれで、このブログは続けると思いますが。。。もとい。かしこ。

 

 

古今集の和歌が多かったので、今日は万葉集の和歌を紹介します。

万葉集といえば、日本最古の和歌集。

名前の通り、「よろづのことのはをあつめた」ものです。

古今集は、身分が高く歌が上手い人の和歌ばかりですが、

万葉集の和歌は、天皇~農民、防人だったり、いろんな身分の人がいて、いいです。

全体的に素朴な感じの和歌が多いですね。

あと、万葉集は、そんなに技巧的ではなく、言葉遊びの要素が多かったりするので、

諳んじていると口が楽しいし、覚えやすい。

例えば、

「春は萌え、夏はみどりに、くれないの、まだらにみゆる、秋の山かも」

語感が最高ですね。

「春はもえ、夏は緑に」の疾走感と彩り。

「くれないの」でその彩りが一斉に、秋の深い赤が広がる感じ。

そして、「まだらにみゆる、秋の山かも」でゆったりとオチる。

秋の紅葉は綺麗ですね。ほんとに。

 

でもきょう紹介したい歌はこれじゃないんです。

古今集万葉集の違いで、個人的に面白いなぁとおもったのは

万葉集には食べ物が色々出てくるんですよね。

古今集は「そんなん雅じゃないわ」って言って全くと言っていいほど出てこないんですけど。

対照的に、万葉集にはいろんなおいしそうなものたちが出てきます。

 

 

石麻呂に 我もの申す 夏痩せによしといふものぞ うなぎとり食せ

夏は暑くて食欲がわかないのは、昔も今も一緒。

夏痩せしてしまった友人に「うなぎでも食べてスタミナつけなよ!」と言う、

そんな場面が浮かびます。これは万葉集の編者、大伴家伴の歌です。

ちなみに、この歌の後には

痩す痩すも 生けらばあらむを 将やはた 鰻を漁ると 河に流れな

なんて歌があります。前の歌でウナギを勧めてたくせに「ウナギとるために川に流れて死んじゃうくらいなら、痩せてても生きてたほうがましでしょw」なんていう。冗談がきびしい笑

 

石麻呂さんはとてもスリムな人だったんでしょうね。笑

奈良時代の人も、ウナギ食べてたなんて、ちょっと親近感です。

と言っても、たぶんこの時代だから白焼きなんでしょうけど。

ウナギは白焼きでも油ぷりぷりでおいしいですもんね。

 

ほかにも、

醤酢(ひしほす)に蒜搗(ひるつ)き合(あ)てて鯛願ふわれにな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)

鯛を醤酢とノビルで食べたいなぁって思ってるのに、

ネギのスープなんて見せないでくれよ・・・。

今でも鯛は御馳走の代表格ですけど、それは当時もおんなじ。

それを醤酢?(醤油っぽいのかな?)という調味料をつけて、

ノビルという植物と一緒に食べる。そんなごちそうがたべたいなぁって思っているのに、日常のごはんは水葱のスープなんですよね。ひ、ひもじい。笑

奈良時代の食生活がすごくリアルでいい。

そしてたぶん、水葱のスープはそんなにおいしくないんだろうなぁ。笑

 

調べたら、たぶんもっといろんな食べ物の歌があるはず。

なんていったって、4000首もあるんだから。古今集の四倍です。

生活に根付いた和歌の数々と、すなおな言葉たち。

古今集とはまた違う、良さがあります。

古今集はうっとりするけど、万葉集はほんわかする。

 

いずれにしても、和歌の良さって

歌を前にすれば、100年経とうが1000年経とうが

日本人の美意識の根本は通じているし、

同じ気持ちにうっとりできる。そこが好きです。

いろんな人が諳んじてきた言葉を、

2021年の今、こうした口ずさめる。

なんだかいいなぁって、幸せな気持ちです。

 

 

 

 

#005 和歌イズマーケティング

今日ちょっとした考える機会があって、
「あぁ、和歌ってマーケティングだなぁ」と思ったんです。
和歌ってたぶん、万葉集の時代とかは、
相手に送る手紙とか純粋なメッセージとしての機能を持っていたけれど、
平安中期以降・国風文化が栄えていくにつれて、
それが次第に芸術としての機能を高めていったんだろうな、と思うのです。
 
そうなったときに、
「いかに人にウケる和歌(コンテンツ)」を作るかっていうことが
一大的な命題になるわけですね。
炎上なんて視点はその頃はないから、正攻法一択。
和歌ってまさにコンテンツマーケティング
 
歌合せのときなんかはもろそうですよね。
お題に沿って、皆が「わかる」ってなるように詠む。
どれだけその状況の心理に寄り添えるか、だと思うです。
だからこそ、寄り添えていない和歌や、
文字合わせの和歌はすぐわかるし、薄っぺらさが際立つんです。
 
その心理を掘り下げる過程こそがマーケティングなのだと思う。
その歌合せのメンツは誰か、
お題は何か、それって今の時代でどんなシチュエーションなのか、
立てるべきか相手は誰か、
季節は何か、相手はどんな作風の人か。
普通はみんなどう考えるか、どうすれば意表をつけるか。
どうしたらそのテーマでみんなが「いみじ・・・」ってなるか。
 
そこまで考えられてこそ、人の心に響く和歌ができると思うんです。
前回、壬生忠見の和歌を紹介したときに、
壬生忠見の歌はつまらないという話をしたんですが、
対照的にうまいのってだれかなぁって思って。
 
個人的には業平だなぁと。
 
でも、彼って突然その歌を詠んだんだろうか?って思ったわけです。
ふっと頭に降ってくるほど、回転が速かったのかもしれません。
実際かきつばたの歌も伊勢物語の話が全て史実ならば即興でしょう
もちろん、彼くらい身分があって教育を受けてきた人物であれば
即興でだって余裕で詠めたでしょう。
 
だけど、それだけで人を感動させることはできない。
彼は、才能があっただけでなく、
とても心が豊かで共感性の高い人間でかつ、
人を不意打ちで驚かせたいと思うような大胆な人だったのだと思います。
 
皆と同じ口説き方じゃつまらない。
もっとクリエイティブに。
でも、皆が感じていることを。
そしてなにより、皆が思いもしない表現で、意表を、つく。
そんな感じなのかなって。
 
業平の歌で一番好きな歌は、
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 」
桜がなかったら、春の人々の心はどんなに穏やかだったのだろう。
 
業平の時代から
千年以上経った今も私たちは、
桜の季節が近づくと「もう咲いたかしら」と開花時期を気にし、
桜が咲くとこぞってお花見に出かけ、
そして風や雨が強ければ、「まだ散らないでほしい」と天気予報にやきもきします。
 
それはきっと昔の人も同じだったのでしょう。
でも、桜の美しさを愛でる和歌なんて、世の中にはありふれています。
大好きなあなたと美しい桜を見たい・あなたは桜のように美しい。
そんな発想なんてつまらないと業平は思っていたのでしょうか。
 
だから、
桜なんてなければ、
人の心はもっと平和だったのにね、なんて言っちゃう訳です。
王道のように、桜を褒めたらありきたり。
だったら、もういっそ全否定してしまって、
それくらい私たちの心を狂わせ惑わせる魅力あるものとして昇華させる。
こんな大胆な発想、誰が思いつくでしょうか。
 
業平はおそらく、
こうした分析が出来る人だったのではないか、と思います。
だからこそ、突飛だけど、
皆が「そうね、ほんとに」と共感する和歌の数々を生み出せた。
 
私はちなみに
「ちはやぶる神代もきかず竜田川 唐紅に染めくくるとは」も好きです。
3年くらい前のコナンの映画のモチーフにも使われていましたよね
倉木麻衣主題歌やってたやつ。
 
この歌だって、
「神様だって聞いたことがないでしょう。
竜田川が紅葉のきれいな赤色でこんな鮮やかに染まったなんて」
と、ダイナミックな表現をしているわけです。
 
全知全能の神でさえ知らないくらい、珍しい。
そしてこの上なく、美しいわけです。
 
古今集曰く、
この歌は天皇に呼ばれ、宮中の紅葉の屏風を前にして謳ったわけですけれども。
ちなみに伊勢物語では現地に行って詠んだことになってます。
 
私はここは、天皇の前で歌った説で解釈するほうが面白いと思っています。
もちろん、現地で見て、あまりの綺麗さに歌ったったっていいと思うんですよ。
 
だけど、天皇の所有物である屏風を前に
「この屏風を見て和歌をよめ」と言われたら。
「わーもみじきれいー!」とか、「すきなひとともみじみたかったー!」
レベルでは浅はかなんです。超ナンセンス。
天皇だって「はぁそうですか」って思ったと思います。
 
天皇の屏風だからこそ、究極的に褒める必要があったから、こう詠んだ。
いわばご自慢の屏風なんです。
こんな和歌詠まれたら天皇もニッコニッコだったことと思います。
自分の所有欲も満たされますよね。
「神様さえこんなにきれいな景色は見たことない、それほどきれいな景色」
と謳われた屏風を見るたびに、
うふふ、ふへへへって気持ちになるでしょう。
 
たとえるなら、身近な人に褒められた服は着るだけでうれしくなりませんか?
誰かにプレゼントして貰ったペンは、使うだけで元気が出ませんか?
 
天皇もそんな気持ちだったんじゃないかな、と私は思います。
だとしたら、気を利かせた表現が出来る業平もすごいし、
もしこの私の仮説が正しいなら、
そんな屏風を天皇がにこにこ嬉しそうに眺めていたら、
なんだかいいなぁ、なんて思います。
 
 
 
 
 
 
 

#004 忍ぶ恋の話。

夏の夜の空気が好きです。

夜だけれど、なんだか外に出たくなるようなあの感じ。

暑さが少しだけ引いて、窓の隙間から吹く風が心地よい。

そんな感じが良いです。

 

今日の和歌は、夏の歌です。

一言で言えば、静と動が同時に込められている、そんな歌です。

 

夏の野の、茂みに咲ける、姫百合の、知らえぬ恋は、苦しきものぞ

 

夏の野原、

闇夜の中で草が青々と生い茂っています。

その緑をかきわけたところに、小さな姫百合がちんまりとそっと咲いている。

その秘めた可憐さがかわいらしい、と思っていました。

ユリの花の清純さ・ちいささと夏の野原のにぎやかさが対比になっている。

 

でも調べてみると、どうもちょっとそれは足りないみたい。

百合という花は、

立派なお花のイメージや清純さのイメージが強いですが、とても背の高い植物。

ぐんぐん成長します。

 

夏の夜の野原、百合も他の植物同様にぐんぐんと伸びます。

でも、どんなに頑張って成長した所で、他の植物にまぎれてしまって、

草を分け入らなければ、外から百合の存在を認知することは難しい。

 

一生懸命想いを馳せてみても、

周りに隔てられて、それを知られることはない。

それなのに想いを募らせてしまうことの虚しさ・恋が叶わない悲しさ。

 

歌った歌人は、大伴坂上郎女万葉集の時代の人です。

 

ぐんぐんと伸びる夏の草の動。

周りに囲まれてしまった・阻まれてしまった百合の静。

 

そんな姿が浮かびます。

 

どんな恋をしていたのでしょうか。

身分違いの恋だったのでしょうか。

ひっそりとした百合も、心の中では熱い恋慕にかられていたのでしょう。

 

「そんな百合のような恋は、苦しいものね」と歌った人が悲しそうにふっと笑っている、そんな姿が浮かびます。

彼女もきっとそんな恋をしたのでしょう。

「苦しきものぞ」に込められた重い呼吸の間さえも感じられます。

しぼりだしたような。

 

そうでなければ、この歌はとても他人事な歌になる。

あるいは、そんな恋をしている、誰かへの嫌味のような歌です

あえて、そんな歌を歌わければいけない場面なんてあるでしょうか。

私はそう信じたいです。

 

現代に置き換えれば、

好きになった相手はとても人気者で、手の届くような人ではない。

そして、その人には恋人がいる。

何よりも、相手は自分のことをきっとただの友人としか思っていない。

どれだけ想いを募らせて、勇気をこめた行動をしても、

さりげない行動に込められたその好意に、あなたは気づかないだろう。

にぎわう周囲の中で、そっと自分の胸の中にある好意を抱きしめて震えている、

あるいは、静かなバーのカウンターで1人ぽつんと、

「苦しいなぁ」と悲しそうに笑っている。

そんな人の姿が浮かびます。

 

身分の差別を含めて、あらゆるしがらみがなくなりつつある現代では、

こんな恋は

「じゃあ、好きって言えばいいじゃん」で終わってしまうかもしれない。

「もっとほかにいい人いるって」で、

本人さえいつかその恋を忘れてしまうかもしれない。

 

だけど、少なくともこの時代は、そうではなかったと思うのです。

元々交わせる言葉の数が少なく、

コミュニケーションが限定的であったからこそ、

余計に相手との結びつきが強かった。

身分が絶対的だったからこそ、宿命というものの前に立ち尽くすしかなかった。

 

伊勢物語の業平のように、

女を連れて駆け落ちできたらどんなによかったのでしょう。

(それも結局途中で女を連れ戻されてしまう訳だけど。)

 

だからこそ、恋がかなわないことの絶望がひとしおだった。

そんな感じでしょうか。

 

この歌は、そんな恋の切なさと一途さが現れている歌です。

どうかこれを歌った彼女にも、

この後の人生で良い人が現れたり、

良いことが沢山起きていてほしい、

千年以上時を超えて、そう願わずにはいられないな。

 

追記 

この鑑賞をしているときに、

なんか対照的な和歌があったはずなんだよなぁと思って思い出したのが、

「しのぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思うと人の問ふまで」

百人一首にも入っている、平兼盛の歌です。

郎女のように「一生懸命想いを馳せても周囲に隠れて知られない恋」もあれば、

兼盛の歌のように「気づかれないように、隠してたのに?」というのもあり。

現代でもありますよね。

「えっ、そうだったの?」というポーカーフェイスな人もいれば、

「いや、顔と態度に出てるよ!」というわかりやすい人もいる。

 

ちなみにこれは歌合せ(どっちの歌が優れているかを競うゲーム)で

「忍ぶ恋」をお題に詠んだときの歌だそう。

対戦相手は壬生忠見

彼はこう詠んだそう。

「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」

私が恋をしているという噂がもう立ってしまった、こっそり想いはじめたばかりなのに

 

これは兼盛が勝つわな、って思います。

だって、壬生忠見の歌はお題に対してストレートすぎます。

鑑賞の余地がないというか・・・。

まぁ、そうなんだけどね。そうなんだけどさ!

もっと掛詞とかさ・・・擬人法とかさ・・・使ってよ・・・!

忍ぶ恋のつらさとか悲しさ、相手への愛しさ、、、そういうものを歌ってよ!

人知れず「こそ」とか、そこ強調しなくていいから・・・と言いたくなります。

 

人知れず忍ぶような恋をしたことがなかったのではないかと思わずにはいられません。

忍ぶ恋をしている人に寄り添えてなさすぎです。

 

それに対して、

しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思うと 人の問ふまで。

同じ「人には隠してたつもりなのにばれてた!」というシチュエーションですが、

色を使っていることで、シーンがよりイメージしやすくなります。

心の中でこっそり想いを募らせていたのにその想いが強すぎて、色やオーラとして出てしまったのでしょう。

実際、人に誰かへの好意がバレるときってそうですよね。

なんだかうれしそうだったり、ちょっと物憂げだったり。浮足だってたり。

もちろん当の本人はそんなにあからさまだということに、

往々にして気づいていません。

それでも周りは

あくまでそれが態度に出ているわけだから

「あ~なんかあの人、恋してるんだな」と、わかるわけなんですけれど、

それを「色」とするのがまた、なんというか感性が素晴らしい。

 

それに、似たような歌ですけど、歌の主体が違うなぁと思いました。

忠見の歌は

「こっそり想ってただけなのに、もう噂でみんなに知られちゃったよ!」

という感じですが、兼盛の歌は

「忍んでいたけれど人が「どうしたの?」と聞いちゃうほど、私の恋する気持ちは色となって表れてしまったようだ」

という感じです。

忠見の歌は、「自分の噂」が主体です。

でも、兼盛の歌の主体は「わが恋」なんです。

もう私の噂広まってんじゃん~!と詠むのか

人に気づかれるくらい、色として表れてしまったみたい。自分のあの人への想いが強すぎるのね。

と詠むのか。

人知れずの恋を嘆くときに、

自分の噂が有名になったことを嘆くのか、

それとも自分でも気づかないくらいあの人のことを強く思ってしまっていたなんて....と

嘆くのか。

もちろん、予期せず人に知られるのは恥ずかしいことです。

だけど、本当に全力の恋をしている人だったら

「あーもうみんなに知られた最悪」よりも

「ああ、そんなに私はあの人のことを強く想ってしまっていたなんてね・・・」のほうが適切なのではないのかなぁと思います。

 

そんな忠見ですが、彼の歌には彼の歌で好きな歌があって

それは

 

「暮ごとにおなじ道にもまどふかな身のうちにのみ恋のもえつつ」

という歌だったりします。

 

夕暮になるたび、あの人のことを考えてしまう。

私の心の中でだけ、恋の火が燃えつづけて。

 

これは歌い手の性別によって意味が違うはずです。

女性だったら、今夜は逢いに来てくれるのだろうか?と自分だけ期待ばかりしてしまう意味だと思うし、男性だったら夕焼けについての二人のエピソードでもあったのでしょうか。

 

けど、たぶんここは女性な気がします。

だって、この時代の女性は「待つ」ことしかできないわけですから。

男が他の女のところに通って、自分のところに来なくなったとて、それが永遠にもう二度とこないということなのか、また時間が経てば来るのか、どっちかなんてわからない。

だからこそ、夕暮れのたびに期待してしまう。そう考えるほうがナチュラルな気がします。

 

忍ぶ恋への想像力はなかったものの、

もしかしたら誰かを待たせた恋や、

一方的に通わなくなった恋のひとつやふたつがあったのかもしれません。

 

歌の名人とは言われていますが、

元々技巧的に凝った、解釈の「あそび」がある、

そんな和歌を作るタイプという訳でもないように思いますし、

決して彼の作る歌の語感が良いとは思いません。

 

でも、夕暮れを見てそわそわとする、一途な女性の恋をこうして描くならば、

ストレートな表現も素敵だな、と思います。

この歌の彼女のそわそわが実って、また好きな人が彼女に逢いに来てくれていたらいいのにな、そう思います。

 

#003  全ヲタクに勧めたい、推しへの愛を称える和歌

霞立つ 春の山へは とほけれど 吹きくる風は 花の香ぞする

 

和歌における大きなテーマは「愛」です。

現代の私たちも、彼ら同様様々なものに「愛」を持っています。

家族に友達に恋人に、そして好きな芸能人に。

その意味で、和歌で歌われた愛が、

形は違えど、他の愛と通じることもあると思うのです。

 

この歌は元々、

在原元平(業平の孫)が詠んだ歌です。

春、京都の都から山を眺めると、霞がかかって遠くの山々がぼんやりとしている。それなのに、山から吹いてくる風は花の甘くて優しい香がすることよ。

 

平安時代の京都がどのような情景だったかと言えば、

きっと今よりも空気が綺麗で、そして建物が少なく、貴族の邸宅には木が多く、花の香がより溢れていた空間だったのではないかな、と思います。

山だって今の五山のように、「the木」という訳ではなく、桜や梅で覆われていたのかもしれませんし、もしかしたらこの山は、桜の名所・奈良の吉野の山のことなのかもしれません。

 

肝心なことは、

香りの元は遠く離れているはずなのに、花の香がすること。

純粋にそれは、距離を感じさせないほど、お山の花の香が強いからかもしれません。けど、それは歌い手の花への鋭い感性もあってのことだと想います。

 

 

私は、これは

現代の「ファン視点の、アイドルとファンの関係に近い」と思っています。

ファンにとってアイドルは遠い存在です。

彼ら・彼女らから見えている景色をリアルに体感することは出来ないし、今何を考えてるかなんて本当のことは分からない。

事務所やお金やビジネスのフィルターのフェイクがかかり、春の霞のように、彼らの実像はぼやけてしまうほど遠い存在なはずなんです。

だけれど、そうだとしても、それでもその遠くにいる彼らから発せられる魅力はこんなにも素敵で、私たちを魅了してくれる。

遠いけれど、まるで近くにいるような気持ちにさせてくれる。

元気をくれますよね。

 

ここで考えたいのは、なぜ「遠くにいるのに花の香を感じる」のでしょうか。

花の香り・魅力が距離をものともしないほど、強烈なのかもしれません。

もちろんそれもあるでしょう。

でも、それだけだめなんです。

「遠くにいる花の香を近くに感じられる」のは、

聴き手が花のことを気にかけているから。意識しているからだと私は思います。

 

星の王子様にもこんなお話がありますよね。

世界一綺麗だと思って育てていた薔薇は、実は何の変哲もない薔薇だった。

でもその薔薇が王子様にとって特別なのは、

それは王子様が手間暇をかけてその薔薇を大事にしたから。

愛着こそが関係を特別にするというお話です。

 

アイドル自身が強く輝いているだけでなく、

ファンがアイドルを思い遣る、

そんな気持ちがあってこそ、距離を「近くに」感じることが出来るのかなと

思います。

 

良い関係!

#002 かきつばた

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

博物館・美術館が好きです。

絵画や工芸品を眺めるのが好きです。

高等なことにはあまり詳しくはありませんが、

「美しい」「かわいらしい」「色合いがすてき」

そんなライトな感じで鑑賞するのも、良いと思うのです。

 

曾祖父が絵描きで、彼の描いた絵が身近にあったこともあると思います。

動物画が得意だった彼の描く動物たちは、まるで生きているかのように愛らしく。

まるで飼っている、そんな気持ちになります。

もしかしたら、昔の人たちも屏風や絵画に風景や動物を描かせ、眺めることで、

愛らしい・美しいと晴れやかな気持ちになっていたのかもしれない。

 

和歌を好きだと、工芸品や絵画を見ていると、わくわくすることがあります。

和歌のストーリーをモチーフに作られているものがあるためです。

 

私の好きな工芸品のひとつに、尾形光琳の「燕子花図屏風」という屏風があります。

とても大きな屏風に金箔がこれでもかと貼られ、

カキツバタの花々が描かれている、豪華な屏風です。

 

高校生のときに、根津美術館

生の屏風を見たことがあるのですが、

高さ150cm、横も2m、3mくらいはある、

すごく大きな屏風で。

ライトに照らされた屏風は、とてもあざやかで、

豪華絢爛とはまさにこのことなんだなぁとくぎ付けになったのを覚えています。

 

カキツバタの花というのは、アヤメのような形の花で、真っ青な綺麗な花です。

スイセンみたいな形をしているかも。スイセンより花はだいぶでかいですけど。

もちろんこの屏風のインスピレーションは「伊勢物語」です。

 

都きってのプレイボーイ在原業平の武勇伝と、

都落ちしていく、その生涯を描いたお話です。

その後半、仲間と旅に出る、いわゆる東下りの場面です。

教科書に載ってたりしますよね。

 

お弁当の「乾飯」を食べようと休んだときに、目のまえに燕子花の花が綺麗に咲いている。あまりに綺麗なので、皆で「かきつばた」の頭を取って歌を読もう、とした場面です。いわゆる「折句」あいうえお作文です。

そこで業平が謳ったのが、この歌。

 

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

唐衣が着ているうちに身に馴れるように、馴れ親しんだ妻が都にいるので、

都からはるか遠くまで来てしまったことよ、と思う。

 

掛詞(ダブルミーニング)がふんだんに使われている歌です。

場所は三河国、八つ橋。愛知県のあたりでしょうか。

 

京都から愛知まで、歩いて行ったのだから、それはそれは遠い旅だったはずです。

しかもこの時代、「都は雅」「東は無骨」という都至上主義が根付いていたはずです。

それでも「都より住みやすい国があるのではないか」と旅に出た訳です。

だけれど、旅に出てみるとやっぱり寂寞の想いにかられる。

都・都にいる女のことが恋しい。そんな想いが出ています。

 

私はこの歌は、上の句が素晴らしいと思っていて。

テクニックとしての掛詞が好きなんですよね。

解釈には手間取るんですけれど、2つの言葉が合わさるからこそ、

意味の厚みがぐっと増す感じ。

 

「つまし」の「し」は、「つま」を強調する助詞の「し」です。

 

当時一緒に旅に出ていた人たちは皆、この和歌を聴いて、

乾飯がふやけるほど涙を流したといいます。

 

スマホもなければ、郵便もない、交通網もない、そんな時代。

今だったら、facebookで検索とか久しぶりにLINEしてみるとか

そういう連絡の取りようはあるけれど、

平安時代の人たちは、人との別れをどういう風に捉えていたのか。

そういうものをもっともっと、私も知りたいなぁと思うのです。

 

尾形光琳と言えば、「八橋蒔絵螺鈿硯箱」も良いですよね。

生で見たことがないので、いつか見てみたい。